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浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)1130号 判決 1985年3月29日

原告

甲山太郎

右訴訟代理人

森勇

被告

社会福祉法人恩賜財団済生会

右代表者理事

犬丸実

右訴訟代理人

原長一

青木孝

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

「1 被告は原告に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年一月一二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。2 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行宣言

二  被告

主文と同旨の判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  被告は全国各地で病院等を経営する社会福祉法人で、その一施設として、埼玉県鴻巣市に埼玉県済生会鴻巣病院(以下「被告病院」という。)を経営しているものである。

2  本件事故の発生

(一) 原告は、精神分裂病のため昭和四七年三月一一日より被告病院に入院していたものであるが、昭和四八年三月八日午前六時二〇分ころ、被告病院の二〇二号室で睡眠していたところ、同病院の二〇六号室の入院患者である訴外A(以下「A」という。)が突然侵入してきて原告の顔面を殴打したり、引つ掻いたりする暴行をした。

(二) 右暴行により、原告は右動眼神経麻痺・右眼外斜視等を起し、その結果、右眼の視神経が萎縮し、その視力は右眼前手動弁という殆んど失明の状態になつた。

3  被告病院の責任

(一)(1) 昭和四七年三月一六日、原告が被告病院に入院するに際し、精神病院である同病院は、原告の父である甲山正男との契約により、同人に対し、原告の看護診療をする旨約し、原告も右契約に基づき被告病院の看護診療を受けることになつた(以下右契約を「本件契約」という)。

(2)a① そこで、被告病院は、本件契約の性質上、原告に対し、次のような契約上の義務を負うた。すなわち、適切な知識、技術を駆使して原告の治療に当たるとともに原告は正常な意思に基づく行動を期待しえない精神病者なのであるからその入院生活を通じて他の入院患者の異常行動による危害を受けることのないよう十分に保護し監督する義務を負うたのである。したがつて、(イ) まず、被告病院には、精神病の入院患者を開放化の下におくからには病院の責任においてその安全を確保しこのことを保障すべきであり、他の患者が急に暴れ出すような場合に備えて原告が危害を受けることのないよう防止設備をすべき義務があり、(ロ) また、被告病院には医師、看護人らを通じて患者の動静に注意し事故が発生しないよう十分に配慮すべき注意義務があり、とくに本件事故の前日にも原告は何人かに左顔面を爪で引つ掻かれ、被告病院による治療を受けていたのであるから、被告病院としては同様の事故の発生を予見し、事故の再発を防止すべき義務を負うていたのである。

② しかるに、(イ) 被告病院は、病棟内を各階毎に遮断して精神病の入院患者が各階を自由に昇降することはできないようにしていたものの、各病室(数人の精神病の入院患者を同室させていた)の出入口のドアには鍵をつけていなかつたため同じ階内では各病室に他の病室の患者が出入しうる状態におき急に暴れ出すような患者に対する危害防止の設備をしていなかつた。また(ロ) 看護人等の看護が届くよう十分配慮していなかつた。

b① さらに、被告病院は、本件契約により原告が他の患者から危害を受けて負傷した場合にはその治療を適切に行なうべき義務を負うており、かりにそういえないとしても昭和四八年三月八日、原告の前記受傷により被告病院と原告の父甲山正男との間には原告の右眼の治療を目的とする診療契約が黙示的に締結され、被告病院は原告の右眼の治療を適切に行うべき義務を負うた。

② しかるに、本件事故による原告の受傷後、被告病院は、原告を近くのみだ眼科周行医院で一回治療を受けさせただけであとは被告病院内で簡単な手当を施しただけで放置し、適切な治療をしなかつた。

4  原告の損害 金一〇〇〇万円を下らない。

二  請求の原因に対する認否と主張

1  請求の原因1の事実は認める。

2  請求の原因2について

(一)の事実中、原告が被告病院に入院したことは認めるが、その余は争う。もつとも、昭和四八年三月八日午前六時二〇分ころ原告が寝ているときに別の部屋から訴外Aが入つてきて顔を引つ掻かれたという訴えが原告から被告病院の看護人に出された事実はある。

(二)主張は争う。原告の動眼神経と視神経に外傷性変化は認められず、原告の視力障害は、原告主張の事故以前からの原告の近視と外斜視によるものである。

3  請求の原因3にっいて

A 認否

(一)(1)は争う。

(2)aは争う。被告病院は病院の治療方針として患者の社会復帰を早めるために病院内でも一般社会になるべく近い状態を作り出すいわゆる開放化の方針をとつている。閉鎖式の治療方針をとると患者をすべて鉄格子のある保護室へ収容することになるが、精神科の治療としては非近代的で極めて無責任な方法であり、被告病院はこの方式をとらない。したがつて病室の出入口のドアに鍵をつけていなかつたことは認めるが、それは開放化の治療方針の結果であり、患者の治療改善に資するためである。被告病院としては病室を大部屋、小部屋、保護室の三つに区分しており、大部屋は通常の落ち着いた生活をできる患者に使用することとされ、暴れる患者又は暴れそうな患者は保護室に収容され、保護室には旋ママ鍵できるようにしている。原告の部屋は二〇三号室、加害者と主張されているAの部屋は二〇五号室で、共に大部屋であつた。看護人等の看護が届くよう十分配慮はしていたが、従来より他の患者から原告に対しての乱暴ということはなかつたし、Aが原告に暴行したとされる朝六時二〇分頃の時間帯のトラブルはそれまでなかつたから原告に対する他患者からの乱暴は全く予測のつかないことであつた。

b①は争う。②のうち、被告病院が原告を近隣のみだ眼科周行医院に受診させ、手当をしたことは認めるが、その余は争う。被告病院は原告を受傷日に直ちに右眼科医師に受診させたものである。

B 主張

(一) 被告病院は、全国的にみても最上級の看護基準を維持し、病院の管理、入院患者に対する処遇について配慮しながらも、前記のように精神科療法の近代的方法としてなるべく開放化して患者の社会復帰をより早く実現できるよう一般社会生活に近い状態をつくり出しているものであり、また本件事故のようなトラブルが起こることを予測しうるような状況にはなく事故は回避できなかつたから、被告病院に過失はない。

(二) しかも、原告は、昭和四六年三月二三日、実母花子を身柄引受人、実父甲山正男を保証人として、被告病院に対し、左の事項等を必ず履行し決して被告に対し迷惑をかけないことを誓約した。(1) 原告本人の身上に関する事柄は何事にかかわらず悉く保証人においてこれを引受ける。(2) 治療上の出来事(手術の場合も含む)に関して異議を申立てない、又治療中如何なる変状が生じても苦情は申立てない。

したがつて、かりに被告病院に何らかの責任があるとしても免責さるべきである。

4  請求の原因4について

A 認否

原告が退院したことは認めるが、その余は争う。

B 主張

原告は、従来他の患者に対したびたび乱暴した。したがつて、本件は、日頃から原告の乱暴に恨みを抱いた他の患者の反撃ともみられ、本件の原因を作り出したことにつき原告にも過失があるから、本件損害賠償の額を定めるにつき少なくとも五割の過失相殺をすべきである。

三  被告の右主張(二3B(一)、(二)、4B)に対する原告の認否

1  3Bの主張に対し

(一) 無過失の主張について

争う。精神病の入院患者を開放化の下に置くからには、病院側の責任においてその安全性を確保し保障すべきであろう。被告病院は、夜半、早朝等の場合にも看護人の看視が届くよう十分配慮していたであろうか。入院患者は、夜半、早朝に必ず寝ているとは限らないのである。被告は、開放化の名の下に右の時間帯には精神病患者を野放し状態にしていたのである。

本件暴行は被告病院にも予見可能な筈であり、事前にその防止も可能であつたから、被告病院は無過失ではない。

(二) 免責の約定の存在主張について

被告病院主張のような誓約をしたことは否認する。もつとも、入院証書(乙第一号証)には被告主張のような記載があるが、本件のように入院に際して一般的概括的な承諾書ないし放棄書を患者側からとつたとしても免責の効力が生じる程の意味のあるものではない。しかも本件事故は右証書に記載されている「治療上の出来事」には含まれない。

2  4Bの主張に対し

被告は、原告の本件受傷は、原告の日頃からの乱暴に起因しているというが否認する。かりに原告が以前に乱暴した事実があつたとしても、精神病院として原告を入院させている被告の賠償額の算定に斟酌さるべきでない。

第三  証拠<省略>

理由

一被告病院

請求の原因1は当事者間に争いがない。

二本件事故の発生

<証拠>をあわせると、原告は、精神分裂病のため昭和四六年三月二一日から被告病院に入院し、同四七年三月八日一旦退院したものの同月一六日再び入院し昭和五二年二月九日まで被告病院で入院加療を受けていたものであるが、被告病院に入院中である昭和四八年三月八日午前六時二〇分ころ、被告病院第二病棟の二〇三号室で睡眠中、隣の二〇五号室に入院していた精神病患者のAから右眼を爪で引つ掻かれたり、右眼のまぶたを殴られるなどの暴行を受けたことが認められ<る。>

三右暴行と原告の視力障害との因果関係

鑑定人蓮沼敏行、同木村肇二郎の各鑑定結果、証人蓮沼敏行の証言をあわせれば、右各鑑定人の所見は原告には現在右眼外斜視、右眼視神経乳頭萎縮、右眼外傷性隅角離開の症状が認められるというものであることが認定しうるところ、右各証拠と原告本人尋問の結果をあわせれば、原告の右眼の視力は失明に近い状態にあることが認められ<る。>

そして、鑑定人蓮沼敏行の鑑定結果によれば、同鑑定人の所見では前記右眼視力は視神経萎縮がその原因であり、この視神経萎縮は眼窩最奥部の損傷によるものであり、また鑑定人木村肇二郎の所見では前記原告の右眼の症状と視力障害の原因は昭和四八年三月八日の眼部外傷による可能性が大きいというものであることがそれぞれ認められるところ、これらの所見とその理由との間には不合理な点が見当らないこと、原告本人尋問の結果によれば本件事故前の原告の裸眼視力は左右0.2、矯正視力は左右0.8程度であつたこと、本件事故のほかに原告には右眼の視力低下をもたらすような外傷が加えられたことはないことが認められることをあわせ考えると、原告の失明に近い視力障害は前記Aの暴行に起因するものと認めるのが相当である。もつとも、<証拠>によれば、原告を受傷当日診察した右秋谷医師は右眼動眼神経麻痺と強度近視は認めたものの、中間透光体眼底に異常所見を認めなかつたことが認められるが、隅角鏡検査をした形跡がない(証人蓮沼敏行の証言によれば、現在では隅角鏡検査をすれば隅角離開の有無はわかるが、秋谷医師が原告を診療した当時は右検査方法は必ずしも一般的に行われてはいなかつたことがうかがわれる)から、前記甲<書証>と証言は前記認定を覆すに足りない。

なお、右Aの暴行と原告の視力障害との間の因果関係が肯定されるからといつて原告が被告病院の債務不履行であると主張する不作為と原告の視力障害との間の因果関係を直ちに肯定することはできずこの因果関係を肯定するためには他に検討すべき問題があることは多言を要しないところであるがこの点はしばらくおくこととする。

四被告病院の責任

1  診療看護契約の成立

<証拠>をあわせれば、請求の原因3(一)(1)の事実を認めることができる。

2  原告主張の不作為は被告病院の債務不履行(不完全履行)にあたるか

(一)  1において認定した看護診療契約の成立により被告病院は入院患者たる原告に対し、患者の病状等の具体的状況に応じ当時の精神科の分野における一般の医療水準に照らし合理的な診療看護をなすべき債務を負うたと解すべきである。

(二)  そこで、原告が被告病院の債務不履行と主張する不作為(請求原因3(一)(2)a)の有無について検討する。

<証拠>をあわせると、被告病院は本件事故当時病棟内を各階毎に遮断して入院患者が各階を自由に昇降することはできないようにしていたものの、各病室(数人宛精神病の入院患者を同室させていた)の出入口のドアには鍵をつけていなかつたため同じ階内では各病室に他の病室の患者が出入しうるような状態においており格別危害防止の設備をしていなかつたこと、原告が入院していた第二病棟(当時は、大部屋六、小部屋一、保護室二から成つていた)では本件事故発生当時二名の夜勤者が入院患者の看護にあたつていたのみでこの者達でやれる範囲以上の看視をしていなかつたことが認められ<る。>

(三) ところで、<証拠>をあわせると、当時精神分裂病の患者に対する治療方法としては閉鎖式(患者を保護室と称する独房に収容して看護治療する方式)もあつたが、暴れる患者とか興奮する患者などについてのほかはなるべく開放化方式(病院内でも一般社会に近い状態を作り出す方式)をとることにより患者の社会復帰を図ることが望ましいとする見解が広く行われており、被告病院もこのような見解に立つて入院患者の診療に当つており、患者の症状からみて具体的な危険が認められない者については開放化方式をとり、(二)において認定した原告の攻撃する不作為も右の治療方針に基づくものであることが認められる。

ところが、原告やAについて被告病院が、具体的危険を予測しうるような状況にあつたとは認め難い(なお、<証拠>中には、本件事故のおこつた前日Aから顔を引つ掻かれたという部分があり、甲第五号証も原告が同日夕方顔面を爪で引つ掻かれたことを裏づけているが何人が引つ掻いたのかは明らかでなく、これのみでは具体的危険を予測しうる状況にあつたとはいえないし、<証拠>によれば、夜間と朝はとくに患者の精神状態は安定しており、従前も格別の事故がなかつたことが認められるから、右時間帯における危険は予測し難い状況にあつたといえる。)ので、被告病院の前記不作為が医療の性質上治療方法に関して医師に認められる裁量権の範囲を逸脱したとは認め難くその合理性は肯定できる。

そうすると、原告が被告病院の債務不履行と主張する前記不作為をもつて(一)に記した契約上の債務に違反するものとはいえず、被告病院の債務不履行(不完全履行)であるとみることはできない。

(四)  また、原告は本件事故による原告の受傷後の措置に関して契約上の債務不履行を主張するが、被告病院には本件契約上(なお、本件契約のほか昭和四八年三月八日、原告の前記受傷により被告病院と原告の父甲山正男との間に原告の右眼の治療を目的とする診療契約が黙示的に締結されたという原告の主張事実を認めるに足りる証拠はない)本件のような事故が発生した場合、眼科の専門医師に原告を連れていつて診療を受けさせるまでの法律上の義務があるかどうかの問題はさておき、かりにあるとしても<証拠>をあわせれば、被告病院は右眼を受傷した旨の訴えをうけるや受傷当日近くの眼科医院であるみだ眼科周行医院に原告を連れて行つて診療を受けさせ、その後右医院の指示に従い被告病院において治療をしたことが認められるから、右の点も債務不履行とはいえない。

五結論

そうであるとすれば、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないことになる。

よつて、本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(小笠原昭夫 野崎惟子 樋口裕晃)

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